富岡シルク(群馬県)
富岡シルクは、群馬県富岡市にある明治の世界遺産「富岡製糸場」の歴史を背景に、今なおわずかに続いている養蚕農家がつくる繭と、絹織物産業が丹精込めて製造する、高品質なシルク製品です。 現在、日本国内で流通する生糸全体の中で、国産生糸が占める割合は0.1%ほど。 日本で加工した絹製品は、輸入生糸を使用しても「国産」ですが、富岡シルクは富岡産の繭だけを使用した「純国産」です。 富岡シルクは、富岡シルク推進機構が、繭生産からすべての生産工程が国内にて行われる絹製品のトレーサビリティ(生産履歴)を明らかにすることによpり、伝統の純国産シルクとして守られ続けています。 世界遺産・富岡製糸場 富岡製糸場 ht...
栃木三鷹(栃木県)
「栃木三鷹」は、1955年(昭和30年)に品種開発され、栃木県大田原市周辺で栽培されてきた、唐辛子品種とその製品です。 昭和初期からこの地域では唐辛子栽培が行われ、戦後には貿易輸出品となるまでに発展しました。 香辛料として古くから利用されてきた唐辛子の辛味は、カプサイシン(capsaicin)という成分で、品種により辛さが異なります。 唐辛子の歴史 唐辛子は、ピーマンやシシトウと同じナス科のトウガラシ属にあたる植物で、中南米が原産地といわれています。 紀元前8000~7000年にはすでに、ペルー中部の山岳地帯で栽培され、メキシコでもこのころから栽培されていたことがわかっています。 1492年、...
房州びわ(千葉県)
千葉県南部で栽培される房州びわは、大粒で瑞々しく、大粒の果実が特徴です。 南房総地域を中心に栽培される「房州びわ」は、長崎県の茂木もぎびわと並んで日本の二大産地として知られています。 「房州びわ」は、栽培の北限とされる千葉県の中でも、温暖な南端部の南房総市、館山市、鋸南町に集中しています。 房州びわの歴史 房州びわの栽培は、1751年(宝暦元年)頃から始まったといわれます。 270年以上の栽培の歴史がある房州びわは、旧富浦町、今の南房総市から始まり、江戸に近いことから栽培が盛んになりました。 実際に江戸時代の中期にはすでに、房州びわが江戸に出荷された記録があり、明治以降はさらに盛んに栽培される...
竜ケ崎コロッケ(茨城県)
竜ケ崎コロッケは、未来を担う子供たちに手作りの大人になっても懐かしく思い出に残るものを、ということから、龍ケ崎市商工会女性部が、中心市街地活性化の一環として手作りのコロッケを販売したことにはじまります。 地元の肉屋、飲食店も参加して、自慢の手作りコロッケを使った街おこしが始まりました。 昔ながらの老舗のコロッケから、目新しいコロッケまで、店主のこだわりを競い合う「龍ケ崎コロッケ」は、ご当地グルメとしてイベントやSNSも使いながら展開され続けています。 竜ケ崎コロッケ誕生のきっかけは? 龍ケ崎市は商業都市として栄えてきたものの、昔ながらの商店街は衰退傾向にあり、2000年代からは龍ケ崎市中心市街...
小田原蒲鉾、小田原かまぼこ(神奈川県)
蒲鉾(かまぼこ)は、白身の魚の身を水にさらし、塩を加えて摺り、形を作って蒸した食品です。 新鮮な魚と水、塩、そして水分や温度、魚の脂などの微妙な調整により製造されるものです。 小田原は相模湾の豊富な漁獲資源に恵まれ、古くから漁業が発達した、水産加工業の一大産地です。 小田原蒲鉾は、漁港として栄えた小田原の網元が、相模湾で揚がる鮮魚を加工し、伝統的な技法を生み出してきました。 東海道の宿場町であり、箱根の温泉街を背後に控え、干物とともに小田原名物となりました。 蒲鉾の由来 蒲鉾の原型は、平安時代の古文書である「類聚雑要抄るいじゅうぞうようしょう」の室町時代の写本に、「蒲鉾」の文字と焼いた練りもの...
横浜中華街(神奈川県)
「横浜中華街」は、港町・横浜になくてはならない歴史ある中華街として、親しまれてきました。 横浜中華街の歴史 1859年の横浜開港以来、160年を超える歴史と文化を伝える横浜中華街は、食やおみやげも豊富、10基の牌楼(門)などの建築も見事です。 牌楼は、東南西北の通りを守る4基など、中国古来の城の伝統に基づくものです。 横浜中華街ガイドマップ およそ500m四方の範囲に、門に守られた横浜中華街には、中国料理店が約200店、食材などの小売店が約80店、土産物などの小売店が約100店、その他の焦点が立ち並び、一大観光地でもあります。 地域団体商標「横浜中華街」 【地域団体商標】 商標登録第50692...
稲城の梨(東京都)
稲城市は、奥多摩から流れる多摩川に近く、多摩川両岸の市町村は、「多摩川梨」の産地として知られてきました。 神奈川県側でも、川崎市がなしの産地として知られ、都市化の進む中でも梨農家が残り、生産が続けられています。 「稲城の梨」の生産の歴史 稲城市は、都内最大の梨産地で、農協の稲城支店果実部の梨農家によって、梨作りが続けられています。 稲城市で生まれた品種「稲城」は、大玉の甘い梨です。 日野市農業協同組合・七生農業協同組合・多摩市農業協同組合・稲城市農業協同組合が合併し、東京南農業協同組合は平成元年に誕生しました。 郊外のベッドタウンとして都市化が進む中、梨のほか、ブドウ、イチゴ、りんご、ブルーベ...
草加せんべい(埼玉県)
草加煎餅は、埼玉県草加市の古くからの名産品です。 せんべいの起源は実に、千数百年前といわれています。 元来、日本では糯(もち)、うるちを問わず、米を蒸したものを「飯」と呼び、これを搗いて潰したものを餅といいました。餅には生餅と、乾餅(ほしもち)があり、乾餅は別名堅餅とも呼ばれ、焼いて食べる保存食でした。 後に、乾餅の中に豆や胡麻をついて入れたり、塩味をつける塩堅餅が生まれ、これを焼いたものが後の「塩せんべい」で、草加せんべいのルーツとなります。 「草加せんべい」の歩み 草加せんべいは、元はこの塩せんべいでしたが、江戸時代になって、利根川沿岸で醤油が造られるようになると、焼せんべいに醤油を塗るよ...
氏家うどん(栃木県)
栃木県氏家町は、以前県の中部に位置していた町で、2005年に喜連川町と合併し、さくら市となりました。 奥州街道と会津中街道の分岐する宿場町として発展し、鬼怒川の河港が開かれてからは商業の町として発展しました。 「氏家うどん」の振興 誕生したさくら市では、地域ブランド振興の取り組みの中で、旧氏家町の小麦の生産量がこのの地域(塩谷郡)の83%を占めることから、郷愁を誘う田舎うどんを振興するということになりました。 氏家商工会主催のイベントで、2005年から素人うどん打ち大会を開始し、地域密着で氏家うどんを地域に根づかせるため、原料となる小麦の提供について農協の協力も得ました。 商品の品質基準、商標...
本場結城紬(栃木県・茨城県)
本場結城紬は、茨城県結城市と周辺地域、栃木県小山市と周辺地域で生産される、結城地域由来の伝統技術で製造された紬織物のことです。 「本場結城紬」とは? 結城地方は、茨城県及び栃木県の鬼怒川沿いの広範囲に及びます。 伝統の技法による、真綿かけ、糸つむぎ、管まき、糸あげ、機延べ、図案作製、絣括り、染色、糊つけ、筬通し、機巻き、機織りの行程を経て作成される、本場結城紬は、国の重要無形文化財ともなっています。 もともとこの地方では養蚕が盛んで、農閑期には、農家の副業として紬が作られたのが始まりで、かつて鬼怒川は絹川と呼ばれていました。このような土地柄で作られる結城紬は、奈良時代から続く高級織物で元来は堅...
市川のなし、市川の梨(千葉県)
千葉県は全国一の梨生産地で、中でも市川市はトップクラスの梨の一大産地です。幸水、豊水、あきづき、新高がその代表品種です。 「市川の梨」の栽培の歴史 市川の梨の栽培は、200年以上の歴史があります。江戸時代より栽培され、千葉県の梨栽培発祥の地となっています。 豊水やあきづきの親品種である石井早生は、市川の農家が育成したものです。 「市川の梨」は京浜の青果市場を中心に出荷され、また選果場や各直売所から全国に発送されています。以前の「千葉の梨」と表示した包装容器を「市川の梨」に変更し、現在では「市川の梨」の差別化とイメージアップに力を注いでいます。 地域団体商標「市川の梨」 【地域団体商標】 商標登...
足柄茶(神奈川県)
足柄茶は、1923年(大正12年)の関東大震災により大きな被害を受けた地域の山村の産業復興策として、当時の足柄上郡清水村(現足柄上郡山北町)に導入され、産地化されたことが始まりとされています。 「足柄茶」の発展の歩み その後生産が拡大し、県西北部、丹沢山麓を中心として茶産地が形成されました。現在では、相模原市、南足柄市、小田原市、秦野市、愛川町、山北町、松田町、湯河原町、真鶴町、開成町、中井町、清川村でお茶が生産されており、総称して「足柄茶」と呼んでいます。 神奈川の丹沢・箱根山麓一帯は、その気候・風土がお茶栽培に最適です。金太郎マークの足柄茶は全国的に知られ、全国茶品評会一等賞、朝日農業賞、...
江戸木版画(東京都)
江戸木版画とは、地域に由来する製法により、荒川区・新宿区・足立区・台東区・中央区・文京区・目黒区・練馬区・西東京市・千葉県松戸市及び茨城県常総市において生産された木版画のことをいいます。 江戸木版画とは? 江戸木版画は、町人文化が花開いた江戸時代後期に、飛躍的に発展したものです。 その発展を支えたのは、皆様もよくご存じの、喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重ら、江戸の天才絵師たちです。 浮世絵木版画に代表される、日本独自の伝統の多色摺りの版画技術である「江戸木版画」の技術は、約200年もの間、今日まで継承されてきました。 それどころか、ヨーロッパ等の絵画界にまで大きな影響を与えたことが知...
伊香保温泉(群馬県)
伊香保温泉は、赤城山、妙義山とともに上毛三山と呼ばれる榛名山の、中腹の標高約700m付近に位置しています。万葉の時代、「伊香保」は今の榛名山一帯を指していたようで、歴史の古さを物語っています。 垂仁天皇の時代に開かれたという説と、天平時代の僧、行基によって発見されたという説が伝えられています。 万葉集、古今集の中で詠われ、竹久夢二や徳冨蘆花をはじめとする、多くの文人らにも愛された温泉地です。 伊香保温泉はどんな温泉? 伊香保温泉の中心地は石段街とも呼ばれ、石段をはさんで両側に、旅館やホテル、土産物屋などが並んでいます。この石段の町並みは、1576年(天正4年)に遡るもので、傾斜地を活用して温泉...
岩槻人形(埼玉県)
岩槻人形は、ひなまつりの雛人形、端午の節句の五月人形をはじめ伝統的な技術、技法で制作される人形です。 埼玉県の岩槻は、江戸時代中頃より今日まで人形の製造を行ってきた、伝統的な技術・技法と材料を使用して作る、繊細で豊かな表情をもつ人形のふるさとです。 雛人形や五月人形の節句人形のほかにも、能や歌舞伎など伝統芸能に使われる浮世人形の製作も行い、人形の頭、手足、衣裳、小道具などが分業によって作られています。 岩槻人形の歴史 室町時代の1457年(長禄元年)、太田道灌が岩槻城を築いて以来、岩槻は城下町として栄え、江戸時代になると日光街道と中山道を結ぶ日光御成街道の宿場町として賑わいました。 日光東照宮...

